新型コロナ・東京五輪

 私がトレーラーハウスで商売をしていた令和2年・3年の2年間は、メディアは「新型コロナ」と「東京五輪」の話題で持ちきりであった。一事業主としてマネジメントの観点から、新型コロナ対策への政府の対応や、東京五輪から見えてくる諸外国のスポーツ教育、制度、仕組み、文化、国民性について自分の意見をまとめてみたいと思う。
 まず、新型コロナ対策として、私は疑問に思うことが5点ほどある。
 1点目は、緊急事態宣言をなぜ何回も発令したり解除したりするのかということである。どこかの国で新しいタイプのウィルスが発生して我が国が水際対策を打ったとしても、国内に持ち込まれるのは時間の問題である。だから一国としては、少なくとも1回目のワクチンがほぼ全員に接種が終わるまでは発令を出したままでいいのではないかということである。そして、各都道府県で感染状況や事情が違うので、個々の対策は国の基準の対応レベルに照らして各都道府県が行えばよかったのではないか。
 2点目は、高齢者に対するワクチン接種である。65歳以上を優先したのはいいが、問題はその申請方法である。アナログ世代による電子申請は、自分の孫に頼まない限りハードルが高いのではないだろうか。一人暮らしの高齢者も多い。役所に電話申請が殺到して繋がらなくなるのは当然である。全国に町内で回覧板を回しているのだから、これを申請申し込みに利用するよりほか手はないだろう。そして、ワクチン接種場所は、選挙に使用している小学校や公民館などを利用すればいい。お互い近所同士の顔見知りが多いのだから、気兼ねなく会場に行くことができる(回覧板巡回方式)。
 3点目は、コロナワクチン開発の進捗状況があまりにも遅いということである。東京五輪前までに、すでに米、英、ロシア、中国がワクチンを開発して供給を開始しているのに対し、日本からはなかなか手が上がらない。以前、NHKスペシャル「パンデミック激動の世界」で観たのだが、政府はワクチン研究に485億円拠出している。どのように配分されたかは知らないが、優れた研究論文を出したある公立大学の研究チームは、非正規雇用1人を含めてわずか3人しかいない。要は、研究基盤がなっていないということである。
 4点目は、政府のワクチン確保という問題である。本来ならば、東京五輪までには東京はすでに1回目のワクチン接種を終えて「ワクチン漬け」になっていなければいけない。政府はワクチン供給計画として6月末までにファイザーと1億回分の購入契約をした。日本の総人口1億2557万人のうち、ワクチンが接種できる12歳以上の人口は1億1300万人余り。その中にはワクチン接種を希望しないものもいるだろう。しかし、病院にワクチンが滞留したり、東京五輪の参加者・大会関係者、観光客の分まで考えているのだろうか? 案の定、東京五輪開始直前に、いよいよ職域接種が始まる段階になってワクチン不足が問題となった。
 5点目は、ワクチンが不足しているならば、中国、ロシアに応援を頼めなかったかということである。オリンピックという特別な年だからこそ、それはできたはずである。中国はすでにオリンピック委員会にワクチンの供給を打診している。米、英だけでなく、中国、ロシアに助けられて「感謝、感謝のオリンピック」になってもよかったのではないか。国内でワクチン接種するには治験が必要なので、有効性や安全性のデータが少ないこれらの国の信憑性を暴くことにもなる。さらにセルビア共和国では、ワクチンを世界中からかき集めることに成功し、モデルナ、アストラゼネカ、シノファーム、スプートニクVのブースを設けて、接種希望者が各自で選んで接種を受けるといった粋な計らいをしている。
 次に東京五輪に関することである。
 私は、メダルを獲得した人がどこの誰で、メダルの色は何であったかということよりも、各国のメダル獲得数に関心がある。なぜならば、その国の国力や勢いを示すからである。今回特に注目するのは中国の躍進ぶりである。中国(金38 銀32 銅18 計88)は、第1位のアメリカ(金39 銀41 銅33 計113)に迫る勢いであった。中国の最近の発展ぶりは目覚ましいものがある。月の裏側に無人探査機を着陸させたり、スマートフォンの進化など科学技術の進歩は特に目覚ましい。また、経済政策としては「一帯一路」を推進し、世界に対する影響力を高めようとしている。一方、アメリカはアフガニスタンやイラクから軍を撤退させて、その影響力を低下させている。日本は、地の利を生かし第3位(金27 銀14 銅17 計58)で、今後、海外遠征で同じ成果を出せるかどうか真価が問われるところである。
 アメリカ、中国、ロシアなどのスポーツ競技者の絶対人口が多いところは別として、メダルを多く獲得している国のスポーツ教育、制度、仕組み、文化、国民性は一体どのようなものであろうか。例としてオランダを挙げてみる。オランダは、スポーツを「教育や娯楽」と捉えず「福祉や保健」と捉えているようである。健康・福祉・スポーツ省は、エリートスポーツにおける世界のトップ10を目指すオランダオリンピック委員会とオランダ・スポーツ連盟(NSO)を支援し、エリートアスリートのための医療的なケアや学校とエリートスポーツ活動との連携、多様な奨学金制度の導入などを行っている。さらに、学校、公園、民間非営利団体、および商業施設などでスポーツ活動を行うことができるようにし、スポーツ参加者の多くは、地域におけるボランタリースポーツクラブ(VSCs)で活動を行っている。オランダの人口のほぼ3分の1を構成する約600万人が何らかのスポーツクラブに参加している。
 いずれにせよ、欧米先進国のスポーツ政策は、国・地方公共団体・民間会社・非営利団体などが若いうちから広く市民を対象にしてスポーツを推進しているのに対して、日本では、試合でいい成績を残した選手だけを「つまみ食い」して育成し、大企業の看板に利用しているようなところがある。また欧米先進国では、日本の学校のように、教科の授業を担当している教師が資格や免許もなしに運動部を担当し、自分の経験則だけに頼って指導していることは絶対にありえない。日本では、あまりにも学校教育が抱え込み過ぎているのである。
 欧米先進国では、同じ世代の若者が同じ施設内に長時間いるということは悪いことだという認識があるし、学校は原則、授業が終わったら終了である。だから、業後の生活面での選択の幅がかなり大きい。家族と共に過ごす者、地域のサークルや教会のボランティアに参加する者、スポーツアカデミーで専門的トレーナーの指導を受ける者など多様である。逆に大学は、日本では「人生唯一の休息所」のような感じだが、欧米先進国では、中学・高校と違い、専門的で深い予習が大前提で、1日当たり平均7、8時間は机に向かっているか授業を受けていたりするといった、かなりハードなものになっている。
 私は、日本では、学校教育よりも私塾(学習塾以外)を流行らせた方が国益になると思っている。英会話教室、体操教室、そろばん教室、ピアノ教室、様々なスポーツクラブ、カルチャーも含めて・・・・まさに、こういったところから天才が発掘されるのである。